プロ野球伝説の知識

伝説

日本プロ野球にて、その年にもっとも活躍した先発完投型の本格派投手に贈られる賞は、知識として知っている方も多い沢村賞(正式名称は沢村栄治賞)。その伝説はいろいろあります。沢村栄治は1917年三重県で生まれ、右投げ左打ちで、よく知られる伝説の話はあのベーブ・ルース、ゲーリッグらのアメリカスラッガーから奪三振を何度も奪い、プロ野球創成期に読売巨人のエースとして3度のノーヒット・ノーランを記録しています。

時代は戦争真っ只中。その強肩を手榴弾に使うことで、肩を傷め、年々軟投型ピッチャーになってしまいました。1944年、三度目の応召のとき戦死。27歳、背番号14は永久欠番となりました。その偉業を記念した沢村賞はその3年後に制定され、第1号受賞者は別所毅彦投手。その後プロ野球がセ・リーグとパ・リーグの2リーグになっての1950年からは、セ・リーグの投手のみが選考の対象となりました。

その後1989年からはパ・リーグの投手も選考対象となり、パ・リーグ初の受賞者は90年の野茂英雄でした。また、81年までは記者投票制であったのですが、82年から明確な選考基準を設けています。それは15勝以上、150以上の奪三振数、10以上の完投数、防御率2.5以下、200イニングの投球回数、25以上の登板回数、6割以上の勝率の7項目です。

現在は投手の先発・中継ぎ・抑えという分業制が確立、上記の基準をクリアすることが困難です。ですから先発投手の最低限の責任とされている6イニング以上を投球し、自責点を3点以内に抑えた試合数が総先発数に占める割合の、QS率(クオリティスタート率)を基準の1つとすることが検討されています。